塾長・夏井あきお(夏井明男)
1943年東京都墨田区生まれ。中央大学法学部卒業。
公明党衆議院議員秘書を経て、日野市議会議員(公明党)を6期24年(1982年~2006年)務める。
ソラ:
はい、皆さんこんにちは。夏井塾の塾生ソラと申します。宜しくお願い致します。
塾長:
宜しくお願い致します。
ソラ:
さて、まず最初に夏井塾長のご紹介をさせて頂きたいと思います。
塾長:
皆さんこんにちは。夏井あきおです。
私、十年ぐらい前まで日野市の市会議員を24年間務めまして、退職して約10年になります。
ソラ:
塾長はですね、日本共産党のウソとかデマを書き並べたチラシをたくさんご覧になって、足を引っ張られたりとか、いろんな体験を具体的にされてきたんですよね。
< 初めての選挙で >POINT!
塾長:
(公職)選挙法を、共産党は全然無視している、という事でびっくりしました。
選挙カーにスピーカーが何個というように決まっているわけです、選挙法でですね。
もうとにかく100メートルから200メートル毎に共産党の人たちがハンドスピーカーを置いて、車もボンボン走らせてそれでやっているという事で。これでは武器が対等にはならない、ルールにはなっていないなと。これは根本的にびっくりしました。
彼らが最後に言うのは「赤旗の新聞を売りに来ました、お読みください」って言って。更にチラシも法定ビラかなんかで(発行回数が)きちっと決まっているんですけど、共産党の人たちは新聞という名目でですね、毎日の様に入ってくる(ポストに入れてくる)、これは一体何なんだろうと。
で2期目の時には、共産党の人から、私を沈黙させようという事だと思うんですが、私がターゲットにされてさんざんチラシやなんかででっち上げられた経緯が具体的に何回もありました。
しかしそれは「日本の政治の風土を高めていく、堅持していく、これ以上国民の方の信頼を失わされてはいけない」という、そういう信念で現在も戦っています。
政治の金銭については、非常に皆さん敏感になって厳しい目になりましたけれども、今政治のウソというのがそれに比べて許される、というかそういう風に見過ごされてしまうという傾向が非常に強いので、そういう意味では政治のウソという事を切り口にして政治腐敗を正していくというのが、一つの私の役割でないかなぁという気持ちで24年間やってきことは事実だ思いますね。
ソラ:
そういう正しい政治の在り方というのを長年求めて、また日本共産党がそこから外れたことをですね、どれだけしてきたかという事を研究されてきたと思うんですけれども、そういった話を夏井塾では、皆さんに具体的な例を挙げてご紹介していきたいと思っております。
塾長:
宜しくお願い致します。
ソラ:
宜しくお願い致します。
次回、夏井塾「第1講/子供を盾に不安を捏造」乞うご期待!!
実はね、共産党の人が一番根っこの部分ですさまじく本質が出ちゃうのは、相手の人の人生を非常に粗末にするんですよ。いろんなチラシを見ると、その自分たちの一人ひとりの仲間に対しても非常に人権軽視。
夏井塾人間の生理に訴えるような所で勝負する場合が多いです。子供の健康の問題、病気の問題、それから市立病院での今回の小児科の問題でもそうだったんですが、その後に出てきたのは、「産婦人科が無くなるよ」「機能しなくなるよ」というもの(チラシ)を撒いた。
夏井塾共産党のチラシには、鮮明に見てもらえば分かるんだけど、いつ、どこで、誰が、何を、誰に対して、どういう風にやったかっていう、まさに5W1Hの法則で見るとね、共産党のチラシの嘘がね、はっきり分かる。
夏井塾「共産主義革命をやるか、やらないか」という立場の違いなんですよ。「お前たちは資本主義の立場に立っている(から」」って言う立場…物の考え方の違いなんです。これは究極ですよ。
夏井塾共産党はまず人々に被害者意識を植え付ける。根拠の無い被害者意識を植え付けるという、そういうテクニックを持っているということですね。
夏井塾共産党は国民を主人公となんて思っちゃいませんよ、思っちゃいない、バカにしきっている。だから対話の政治をして政治を変えるなんて発想もないし、それから国民、市民をそういう風に見ていますから、
夏井塾ウソのなかで、健康や安全にまつわるものほど罪の重いものはない。4月に市長選挙を控えた2005年1月と2月、共産党系の窪田之喜候補は「平和と緑のまちでくらしたい/日野市民の会」の名で、
コラム日本共産党・日野市議団は、「平和と緑のまちでくらしたい/日野市民の会」の名で2005年1月から6回にわたり、「市が福祉や教育の予算を削り、市内の公立学校の校舎はボロボロ」なる記事を掲載したチラシを配布した。
コラム日本共産党がチラシにウソやデマ情報を掲載する事件は、止まることを知らない。2005年10月には「学校の予算削減で、学校現場の備品費、消耗品費は毎年削られてきました。
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